夜更かしに珈琲を一杯

寝れない夜のお供に

【激闘】お部屋探し物語inシドニー

お恥ずかしい話、僕は生まれてこのかた一人暮らしをしたことがない。

 

高校を卒業し、大学は地元の大学。

一人暮らしをする程の距離じゃないので、実家通い。

かつては「バイトをして自分で一人暮らしをするんだ!」

なんて考えていましたが、それもすぐに消失。

そんなお金もなく貯まらなかったので、実家に。

 

 

さて、話は変わりますが、いま僕はオーストラリアはシドニーに来ています。

留学、っていうやつですね。(厳密には違いますが)

 

通っている大学では、あまり十分な支援が得られなかったため、全て自分で決めて今回の留学を決行しています。

 

学校も家も、オーストラリアに来てから決めるようにしていたので、始め1週間はゲストハウスのようなところへ住むようにしました。

 

てなわけで、家も自分で決めなければなりません。

 

なんやかんやと最初は忙しく、家を探し始めたのはこっちへ来て4日目。

チェックアウトまで残り3日。

 

 

 

僕が思うに、シドニーでの留学生の一般的な家の見つけ方は3つだと思います。

 

1、留学会社から指定された所へ行く

2、知り合いの紹介

3、自力で探す

 

僕の場合、今回は3の自力で探す、です。

 

そしてオーストラリアでシェアハウスはリビングシェアをする場合は、JamsTVという日本人向けサイトを使うのが主流です。

家だけでなく、留学が終わり帰るとなっていらなくなったものが売っていたり、求人情報が載っていたりなど、役立つ情報がたくさん載っているサイト。

 

そして家の場合、

1、気になる家を見つける

2、見学したいとSMSを送る

3、家を実際に見る

4、気に入れば契約に進む

 

という形。

 

なんだ簡単じゃないか、と思い、気になる家に片っ端からSMSを送りました。

 

しかし世の中そんなに甘くはありませんでした。

 

 

 

そもそもSMSの返事がこない。

 

めちゃくちゃ送りまくって、十数件ほど送って返事が来たのは4件。

しかもその日に返事が来たのは1件。

 

とりあえず見学に行かねば、と思い2件を次の日に見学へ。

 

 

まず訪れたのは、記事によると10人のシェアハウス。

いろんな言語の人がいる、ということでメールしてみた。

そして家賃が少し高かったので、きっとそれなりに綺麗なんじゃないかと思っていた。

 

 

オーストラリアでは、基本的に何を払うにしても週ごとにやり取りされる。家賃や給料など。

 そして家の場合、敷金礼金的なもので、ボンド(bond)というものを払わないといけない。

大体は2週間分の家賃の値段を、入るときに払って、退去するときに返ってくる仕組み。

 

 

さて、最初に訪れた少しお高い10人の兵士が住む城。

お手並み拝見といこう。

 

 

初手、ベッドルーム、2段ベッドの3段構え。

お母ちゃんにもらった僕のこの体。

ありがたいことに成長に成長を重ね、185cmまで成長しました。

恐らくこのベッドルームにこの大きな体は当てはまりません。

その時点でもう候補から外れる。

そしてキッチン、トイレ、洗濯場の清潔感皆無。

そしてなんかオーナーの態度が気に食わぬ。

ここは無しだ。

 

 

二件目。

オーナーは日本語が話せる韓国のおじさん。

見た目はクレヨンしんちゃんに出てたメガネでロン毛でデブの冴えないオッサンそっくり

 

まずベッドルーム。

最悪です。

囚人の漫画で見たいような、薄暗い電球の下に雑にマットが敷かれている、湿気た部屋。

なんだよここ。。。。

 

次に通されたのはキッチン。

生まれて初めて家に蚊柱というか虫が湧いているのを見た。

 

本当にここには人が住んでいるのか。。。

 

 

 

50ラウンド戦い抜いてボコボコにされた気分でした。

なんだよあれ。

バイオハザードとかで害虫キャラが出てくるようなとこだったぞ。

むしろもうハザード起きてたわあれ。

 

家探しってこんなに大変なんですね。。。

 

 

想像していた海外と全然違いすぎて、もう帰りてえ。。。

 

 

 

 

 

翌日、残りの見学へ。

正直なんの期待もしていなかった。

とりあえず虫が湧いていなくて綺麗なベッドさえあればなんでもよかった。

 

 

伺ったのは、オーナーが日本人のお部屋。

なんと瀬戸内海出身の方で、お母様は愛媛出身。

なんだか親近感が。

 

お部屋を見させて貰うと、それはそれは綺麗な(普通の家レベル)お家で、ちゃんと綺麗なベッドで、虫なんか湧く様子もないキッチン。

なんとプールにジムまで付いている。

 

 

思わず泣きそうになった。

ああ、日本ってなんて裕福な国なんだ。。。

自分は生まれた次点で、世界で観るとそれなりに裕福な層にいる。

その時点で、世界の半分以上の場所が、不便、居心地が悪い、と感じてしまう。

ああ、なんて勿体無いんだ。

 

 

いや別に思っただけでそれが治るわけじゃないんですけどね。

 

軽く潔癖な僕からすれば中途半端は汚れた環境は本当に厳しい。

もうこの家にしよう。

 

 

 

 

ということで、シドニーに来て6日目。

無事家を発見しました。

シェアルームで、住んでる人がみんな日本人で、

英語力の向上には少し向いてないかもしれないけど、努力で補っていこうと思います。

 

 

 

 

 

オウチダイジ。

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オペラハウスにも行きました友達いないんでセルフタイマー。

タバコの話

「タバコ吸ってる俺ヤンキーマジ卍ぃ!!!!」

 

 

 

みたいな風潮が日本にはあるのかなと思う。

少なくとも僕の周りにはそう見える人がいた。

 

 

何事も、最初にやってみた人ってすごいと思う。

例えば、髪の毛の色を抜くブリーチ。

なんでやったんだろう。お医者さんかなんかがつまずいて「ああ!」って薬品ぶん投げたのがたまたま頭にかかって、落としたら「いや髪の毛色になってるやん!!!!」みたいなことになったのかな。

 

タバコも最初にやった人はすごい。

てかむしろ頭悪いよな。

 

「ワイ、畑焼いた時の煙すっきゃねん!」

「ぽくもデスwwwwwwww」

「でもそんな毎日畑焼いとけんげぇ。。」

「あの、FF外から失礼しますwwこの、この、こっこの草なんか千切って焼けば、すぐ煙吸えるんじゃないでしょうかwwwデュフwwwwwwww」

 

シュボッ

 

 

「「「なんじゃこりゃあーーー!!!」」」

 

 

みたいな感じなのかしら。

 

 

しかし兎にも角にも、タバコってのはいろんな価値感が人によってありますよね。

かっこいい、って見えたり

嫌だな、と思ったり、

何も感じなかったり

あの人吸うんだ、、ギャップ、、、萌

とかとか。

 

 

今僕のいるオーストラリアでは、たくさんの人がタバコを吸っているように思います。

それだけならまだしも、灰皿やゴミ箱に捨てる人は少なく、ほとんどがポイ捨てします。

道路は吸い殻だらけ。

 

 

そして、驚いたのが、両手に一本ずつ火が付いたタバコをもって、交互に吸う人がなかなかいるっていう。

どんだけ吸いたいんだ。。

 

 

そんなにみんな吸うなら、試しに僕も一箱買ってみようかな、と思ってその辺の店に入ったら驚き。

バカ高い。

日本より全然高い。

そしてパッケージがめちゃくちゃグロい。

 

あんなグロいパッケージ、よくみんな買えるな。。。

 

 

興味ある人はググってみて。

煙どころか何も身体に入れたくなくなるよ。

オーストラリアに来るまで、きてから

「留学してみたい」

 

いつの日からかそう思い始めるようになった。

別に近しい人が海外に行ってたり興味があったわけではなかった。僕自身、英語の成績がずば抜けていいわけじゃなかったし、むしろ苦手だった。

 

でも、いつからか「世界中の人と会ってみたい」という思いが生まれた。

 

高校を卒業し、地方の私立大学に入った。

もともと大学に行くつもりはなかったから、すごくワクワクして、大学への期待がすごく高まった。

 

大学2年生までに、色んなことをした。

 

サークル

学生団体

ビジネスコンクール

啓発系イベント

イベント主催

バイト

旅行

 

決して大きな不満があったわけではないが、いつも頭の隅に「留学」という言葉があった。

 

家庭環境の関係で県外の大学へ進学出来なかったから、留学なんてとんでもない、と自然と思っていた。

 

 

大学に入ってから沢山の出会いがあり、今の自分の師匠に出会った。

彼は50歳のおじさんである。

 

もともとオーストラリアで10年カメラマンをやっていて、日本に帰ってからはカフェを二軒開いた。

松山で初めてラテアートを始めたのは彼だそうだ。

 

僕は彼の人間味がすごく好きで、沢山のことを見て、聞いて、感じて吸収している。

 

そのうち、「留学したい」という思いが再び出てきた。

 

 

思い切って親に言った。

「留学がしたい」

 

返ってきたのは、想像していた答えとは違って

 

「いったらいいじゃないか」

 

したいことはすればいい

警察さんにお世話にならなかったらなんでもしなさい

 

これは我が家の環境だ。

 

ありがたいことにオーストラリアへ行くことが決まった。

 

 

オーストラリアに行くと決まって、周りにも伝えるようになった。

すると多くの人が僕に問いかけた。

 

「何しに行くの?」

 

 

答えられなかった。

ただ「行きたい」という思いだけが先走って、何をしに行くのかは全く決めていなかった。

 

将来があやふやで、だらだらと生きてきた僕。

目標も持っていなかった。

 

 

質問には答えられなかったけど、心の奥には答えがあった。

 

就活から、大学から、社会から逃げた

 

 

それが答えだった。

 

周りの仲間は大学を辞めていったり、休学をしたり、はたまた通いながら彼らがしたいことをドンドンしていっていた。彼らの姿を見る僕は、自分をどこか惨めに感じていた。今思えば、人と比べるようなことではないのに、と笑ってしまう

 

周りから就職どうするの?とか将来何がしたいの?と聞かれるのがしんどかった。

 

だから、オーストラリアを理由に、ひとりになってみたかった。

 

 

 

今、オーストラリアに立ってみて思うのは、

 

自分がどれだけ多くの人に支えられて生きてきたか

 

ということを痛感している。

 

 

 

シドニーは治安が良い方だよ、と聞いていたけど

着いた初日には駅で夫婦喧嘩か知らないが男の人が顔面血だらけ、女の人は無傷、周りには警察と救急車。

沢山のホームレスが集まっている。

タバコを両手に吸う人や、明らかにラリってる奴。

 

なかなかパンチの効いた街である。

 

 

正直初日にして思ったのは「帰りてえ」でした。

やってられない。

松山が恋しい、というよりはみんなに会いたい、という思い。

 

大学も松山のため、人生で一人暮らしをしたことはない。

人生で初めて親元を離れて生活を始めた。

周りは英語ばかりで、まだ学校にも行っていないのでひとりぼっち。

やってられるかと思った。

 

 

ひとりで公園でコーヒーを飲みながらなんでここへ来たんだろう、と考えた。

 

 

松山で出会い、この度お世話になるバイト先の社長にご飯に連れて行った時、自分の夢のことを語ることがあった。

すると社長はこう言った

 

「私の店、日本食料理店が、お前の将来したいことではないだろう。しかし、ここで本気で勉強すれば、それは後々お前にきっと良い結果をもたらす。

中途半端な仕事しかできない奴は、夢なんか到底叶えられない。

普通の人が10分で100の成果を出すなら、130の成果を出さなければならない。」

 

 

 

ああ、甘えてる暇なんかないんだ。

将来を考えてる場合じゃない。

今、目の前にあるやるべきこと、それをしっかりと全力で取り組んだ先に、きっと自分が追い求めるものがあるんだ、と。

もし仮に見つからなかったとしても、それはそれでいいや。

 

今、ここで得られる経験をやれるだけやってやろう。

 

そう決めました。

 

 

ってことで、オーストラリア生活スタートです。f:id:s-k-blackcat0428:20180503161321j:image

親父と似てる話

師匠はよく僕を色んなところへ連れて行ってくれる。

これも社会見学だー!

なんて行って、きっと話を聞いてくれる学生が嬉しいのかななんてでしながらに思いながら。

 

昨日も50超えたおっさんとグータラしてるニート大学生のずっこけドライブ旅が行われた。

 

今回向かったのは、山の奥にあるボタン茶屋というとこ。

毎年この時期に牡丹の花をたくさん並べ、それを見て楽しめるだけでなく、うどんや、イノシシの肉を使ったコロッケ。そしてハンドドリップで淹れる本格コーヒーまで楽しめるなんとも素晴らしいお店。

 

実はここ、僕は家族で来たことがあった。

ボタン茶屋の店主(よっちゃん)とうちの親父が友達で、飲みにも行ったりする仲。

親父から僕の話を聞いていたらしく、学校を休んだことなんかもすでに知っていた。

 

牡丹の花をひとしきりみて、景色を楽しみ終わった後は、焚き火を囲ってうどんをみんなですすった。

いやこれ最高なんです。

本当は見せたくないけど、どうしてもっていうならちょびっとだけ見せてあげる。f:id:s-k-blackcat0428:20180213093938j:imagef:id:s-k-blackcat0428:20180213093946j:imagef:id:s-k-blackcat0428:20180213094002j:image

いやぁよかった。

 

師匠も親父を知っていて、よっちゃんと僕と3人で親父の話になった。

 

親父は休みがほとんど無く、一日中家にいる時って言うのがここ数年見たことがない。

休みだー!って言ってると思えば

ちょっと遊びに行こかしらっ

なんて言ってすぐどっか行っちゃう。

逆に僕もいろんなとこ遊びに行くからなかなか親父と会わない。

 

僕「いやぁ親父なかなか家いないから何やってるかわかんないんですよ〜。笑」

 

よ「それは面白いなぁ笑」

 

僕「何がです?」

 

よ「お父さんも、あいつすぐ出掛けるけん何しとるかよくわからんのよって言ってたよ。笑」

 

親父も俺がすぐ出て行くから何やってんのか分からんと言っているとのこと。

なんだそれ。

 

師匠「似た者親子だな!ワッハッハッハ!」

 

なーんて話をしながら山が楽しかったよって話でした。

かっこいいと思ってた話

大学に休学届けを出した。

 

 

大学に入って色んな人に出会う中で、

「休学してあんなことしてきた」みたいな話を

たくさん聞いてきた。

 

なんか、中学生がヤンキーとかタバコに憧れるみたいなノリでどこか休学ってカッコええやん。。。って思ってました。

過去形ね過去形。

 

 

さて、冒頭にも書いたように、

この度僕も休学をしました。

人生の夏休みとも言われる大学をさらに休もうという大暴挙。なんたる行動。この大サボり者!

 

なんて酷いことは言わないでね。

 

 

いや何が言いたいかって言うと、現状、休学はカッコ良くも何もない上になんならちょっとツマンネぇ🐥ってこと。

 

大学に行くこともないから友達とも会うことがなく、することと言えば猫と昼寝。

 

おいこれじゃただの大サボり者じゃないか。

 

当時の俺よ。休学はカッコ良くはなかった。

 

 

ただ時間は余すほどある。

この一年はやりたいこと、やりたかったことをひたすらにやって行くと決めた。

 

今後の活躍に乞うご期待。

 

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どうでもいいけど俺の年老いた戦場カメラマン感やばいよね

ぼっちの話

恥ずかしい話、独り言をよく言う。

もちろん周りには誰もいない時ですよ。

部屋に一人ぼっち、とか旅先の一人で歩いている時、とか。

 

何を言うかと言うと、これまた恥ずかしい話、自分に話しかける。

 

「あー腹減ったなぁ」(そうだなぁ)

「お、いいやん」(写真上手くなったな)

 

みたいなすごく端的な言葉。

 

自覚してはいたけど、こうして文字に起こすとかなりやばい奴。

 

 

初っ端からこんなこと書いてなに?と思うかもしれない。

つまりは、一人の時間が嫌いじゃない。

 

よくアーティストなんかが、人は一人じゃ生きていけないなんてこと歌っていますが、一人の時間もないと生きていけないですよね。

 

友達、彼女、上司、コンビニのにいちゃん、家族、そんな人たち過ごす時間が自分を支えているんだ。

 

でも1番時間があるのは、自分の時間。

 

一人でも笑うし、一人でも泣く。

 

高校の時、冬場暗くなるのが早い時期、

通学路に河川敷があって、風が強かった。

向かい風のヴォーっという音が嫌いで、よく歌を歌いながら帰った。

口ずさむ、とかいうレベルじゃなくそれなりの声量で。

 

ある日も完全に自分の世界に入って、

確か小さな恋の歌を歌っていた。もんぱち。

 

風の音も忘れるくらい夢中でした。

響くは遠く 遥か彼方へ 優しい歌は 世界を変える

 

(よしサビッ!)

 

シャーっ

 

 

えっ

 

 

 

隣をかなり可愛い女子高生が半笑いで追い抜いて行った。

 

 

 

人というのは、とんでもない事態が起こった際、

変に冷静だと聞きます。

その時の僕もそれだったのでしょう。

迷う隙もなくかなり遠回りの道をして帰って行きました。

懐かしいなぁ。

 

 

なんの話してたっけ。

 

一人の話か。

 

 

最近悩む事が多い。

いや、悩むべきことから目を背けることが多い。

 

嫌なことは後回し。

ギリギリになって後悔する。

 

昔から変わらない。

 

どこか変わったというなら、悩むことが大きくなった。

 

 

いつも最初は(やるぞ!)と燃えるのだが、

途中で見たくなくなる。

きっとそれは、自分が思った形に進んでいないから。

そして流れに逆らうのが面倒で放っておいて、

見るのがやになっちゃう始末。かーっ。

 

心の中の小さな僕が悪魔のささやきをする。

 

ちょっとくらいいいじゃん。

面倒だから後にしようぜ。

やらなくていいよそれ。

 

分かっているのに逆らえない。

 

もっと自分に強くならなければ。

 

と、短いですが以上をもちまして新年の挨拶とさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

こたつに入って食うアイスって最高だな

センスとロックとレジ打ちの話

昔からすごく憧れるのが芸術的才能がある人。

 

絵が描ける

歌が上手い

楽器が演奏出来る

字が綺麗

ダンスが踊れる

文才がある人

 

たくさんの才能が世の中にはある。

一体自分にはどんな才能が眠っているのだろう。

そもそも寝ている才能なんか僕にあるのか。

なんてことを昔よく考えていました。

 

もちろんその人たちも全く努力してないわけではないでしょう。

天才に必要なのは1%のひらめきと99%の努力と昔の偉い人は言いました。

僕にだっていつか、才能が芽生えるのだろうと信じていました。

 

 

そしてその才能は思いの外早く見つかりました。

 

どうやら僕は選曲の才能があるらしい。

 

え?そんなもの?

まあいつか大成するかもしれないじゃ無いですか。

そういいなさるな。

 

果たしてこれを才能、と呼んでいいものかは置いておいて、いい選曲センスをしてるらしいです。

 

飲食店でアルバイトしているのですが、

暗黙の了解で元々流れている誰が歌ってるかもわからない洋楽を乗っ取って僕が聴きたい曲を流しています。

 

僕はなんでも聴きます。

ロックかヒップホップをよく聞いてて、お店でもそれを流します。

 

音楽の才能は昔から無く、カラオケで90点台を出したことは無く、ギターもかじったけど三日坊主で、楽器演奏は特に出来ない。

けど昔から音楽を聴くのは凄く好きで、暇さえあればずっと聞いています。

 

それの延長上で好きな曲をバイト先で流してると、やっぱり楽しくお仕事出来ます。

ノリノリで働いていると「これなんて曲?」とか「うわーこの曲めっちゃいいな」なんて言われます。

最近ではお客様アンケートに「流れている曲がすこく良くてさらに美味しくご飯を頂けました!」なんてコメントも。

 

ただ僕は流しているだけですがそうやって共感してもらえると嬉しいです。

 

さてある日のこと。

いつものように音楽をかけていました。

鼻歌まじりに料理を運んでテーブルに置くと、

「この曲すごくいいですね!誰がかけてるんですか?」

と若い女性のお客さま。

僕が流していますと言うと、いいセンスしてますねぇー!と言っていただきました。

嬉しくなりながらテンションも上がり、その後の仕事はいい気分でした。

流していたのはあの有名なONE OK ROCK

 

 

そのお客さまが帰られる際、たまたま僕がレジでした。

「とても美味しかったです!お兄さんの選曲も素晴らしかったし!」

 

「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです。」

 

「私この前あったライブ行ってずっと余韻浸ってていやほんとよかったんですよ行きました?あのライブお兄さん行ってそう!いい選曲センスしてるしセトリとかもしっかり勉強してるんですかそういえ」

 

無限に喋る。

まさかの超コアファン。

正直好きではあるがファンを名乗るほどではない僕。

あんなに苦しいレジ打ちは初めてだった。

1%ひらめいたけど努力がまだまだ足りないよう。

 

「美味しかったですまたきます〜」

と言われて、ひきつった笑顔で

「勉強しておきます。。」

と言った僕でした。