都合がいい夏
ども。
SNSでは夏が続いていますがオーストラリア冬です。
夏を感じたいという思いを理由にひとり酒をしたい日々です。
日本には一年のうちに4つも季節がありますよね。
都合のいい日本人は、
欲張りたさを「〇〇の秋」と呼び
「年越す前に終わらせなさい!」と冬に大人はいい
普段からある怠惰感を「五月病」といい、
夏なんか都合が悪いことは全て「夏のせい」にする。
花火を一緒に見に行く浴衣の彼女がいないから毎年バカな友達と行く結末で、屋台にばかり目が向いて花より団子、というより花火より団子という夏
一度は経験したことあるのでは。
肝試し、スイカの種飛ばし、ラジオ体操、溜まっている宿題、虫かご持って山へ探検。
汗も日焼けも気にせず無邪気に走り回った夏はいつ終わったのだろう。
歳をとったなぁと思うけれど、今年の夏も楽しいことには変わりはない。どう過ごしたって「今年の夏も、良かったな」と思うのだから。
そして、秋を欲張って冬にけつ叩かれ春に怠惰になり、また夏を迎える。やっぱり人間は都合がいい。
【「無意識のうちに」、というのは存在するのか。】
と、先日友達が言っていた。
無意識のうちに、というのはあると思う。
写真を撮るのが趣味だ。
最初はただかっこいいからという理由で始めたが、だんだん操作にも慣れてきて、撮る写真にメッセージを含めたいと思い始め、自分なりに意味を求めた写真を考えている。
今僕はオーストラリアにいる。
日本とは違った世界。
収めたいものはたくさんある。
オーストラリアは、僕の体感では日本に比べると決して治安は良くない。
たくさんのホームレスや浮浪者がいる。
そして多くのその人達がお金や食べ物を求めている。
ーー
「僕は人を差別なんかしない」
心の中で僕は常々そう考えていた。
貧富の差、肌の色、障害。
それらが違えど人は人。
平等に接するのが当然だろう。
ーー
写真を撮り歩いていた。
特に理由はなかったのだが、その日はなんだか少し浮き足立っていて、いつもとは違う心持ちでいた。
何か写真に収められるようなものはないかな、とあたりを見ていると、ひとりのホームレスがいた。
この国に来てから、1人にだけ上げるのは平等じゃない、と自分ルールを作り、一度もお金をあげたことはなかった。
なぜかその日は、お金をあげた。
$2コイン一枚。
ふと、彼の写真を撮りたいと思った。
一枚とらせてくれないか?と聞くと
ああいいよ、と答えた。
6歩下がり、ファインダーを覗いき、シャッターを切ろうとした瞬間
どうして彼を撮りたいと思ったのだろう。
なんら変わらない人間。
そこに座ってハンバーガー食べているおっさんと、ベビーカーを押してるお母さんと、無邪気にゲームしてる子供と、何が違う。
「ホームレスだから写真を撮ろうとした」
シャッターを切れなかった
情けなさのせいで、しばらくファインダーを覗いたまま動けなかった。
撮れた?と聞かれたので
ごめん、あなたを普通の人と違うと思って写真を撮ろうとしてしまった。撮れていない、と答えた。
気にするなよ、それどこのフィルムカメラ?
これはデジタルだから、フィルムじゃないよ
へえ、初めて知ったよ。何枚撮れるの?
数百枚は撮れるよ
数百!じゃあ一緒に撮らないか?
人は自分の欲望のままに「無意識のうち」に動く。そして満足。オナニーみたいな人生。
何とも言えない感情的に包まれながら、彼の優しさに甘えてしまった。
僕にとってこの写真は一生忘れられない写真になると思う。
今年の8月は、生きてきた人生で一番刺激的になりそうだ。去年の8月もそう言っていたのだろうけど。
僕は本当に都合がいい。